日本が生きづらい理由-教育が間違えているよね!

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親子ヨガ

僕は整体師とカウンセラーをしていて、僕が経営しているあおぞら整体院メンタルの問題に強い整体院を標榜していて、「クライアントを幸せにすること」を目指している。

そういうわけで、うちの整体院にやってくる人は、何らかの生きづらさを感じている人が多い。

日本は生きづらいと感じている人は多いと思う。
みんな、なんか辛そうだよね。

僕はカウンセラーだし、過去にうつ状態に陥って苦しんだ経験もあるから、いつも、「日本が生きづらい原因は何だろうか?」って考えるわけ。

教育が悪い

いろいろ考えているんだけど、一つ思い当たるのは、やっぱり教育が悪いよね。
これは、誤解しないでほしいんだけど、学校が悪いというつもりはないんだよね。

もちろん、学校も悪いんだけど、親も悪いし、もっと言うと社会全体が教育というものを間違えているんだと思うんだよね。

子どもたちに対してどのような教育をしようとしているのか。
どういう人を育てようとしているのか。

そこが、子どもたちのことを考えているのではなくて、大人たち、社会の側から見て都合のいい人間を育てようとしているということなんだと思うんだ。

子どものが幸せに生きていくということを主眼としていないんだよね。

内発的動機付けと外発的動機付け

人間が何か行動を起こすときって、何らかの動機がある。
その動機がどこから来るか、ということで分類すると、内発的動機付けと外発的動機付けという、二つに分類できるんだ。
これは、心理学用語なんだよね。

内発的動機付けというのは、その人の内側から湧いてくる動機のこと。
そのものが好きとか、興味があるとか、やってみたいと思うとか。
純粋な動機だよね。

これに対して、外発的動機付けというのは、外側から与えられる動機だよね。
凄いと言われたいとか、褒められたいとか、儲かるかもしれないとか、自慢できるとか、そういうこと。
名誉、報酬、称賛など、他者から与えられるものを動機とすることなんだ。

で、日本の教育のどこが間違えているかというと、内発的動機付けよりも外発的動機付けを重視するということ

子どもが何かに興味を持った時に、「そんなんで食えるのか?」とか、「受験に関係ない」とか、「みっともない」とか、「いつまでも遊んでいるんじゃない」とか、「夢みたいなこと言ってないで、いい加減、地に足をつけなさい。」とか言うでしょう?

確かに、内発的なものは単純に「面白い」とか「好き」とかだから、それで食えるかどうかなんて関係ないんだよね。
だけど、「食えるのか?」と言われると、「うーん、難しいよね」みたいなことになって、夢をつぶされていくわけですよ。
ドリームキラーが多すぎるんだよ。

「受験に関係ないことにうつつを抜かして、受験勉強の時間が無くなって成績が下がるのが困るからやめなさい。」なんて言われるわけ。

それで、子どもたちは、いつの間にか、「ああ、好きなことをやっていてはいけないんだ。」なんて、好きなことをやるのに罪悪感を覚えるんだよね。

つまり、大人になるということは、「内発的動機付け」よりも「外発的動機付け」を優先させることができるようになることであると学ぶんだよね。

これって、「やりたいことを我慢して、やりたくないことをやれ」と言われているんだよね。

でもさ、それって楽しいか?
楽しくないよね。
苦しいだけだよね。

もうね、こういう価値観が生きづらさの原因なんだよ。
全部それにつながって来るのね。

自己満足を目指す

外発的動機付けというのは、他者からの評価されるということなんだよね。
ということで、他人の目が気になるわけ。

そして、競争なんだよね。
他人より優れていると認められることを目指すわけ。

でも、内発的動機付けというのは、自己満足の世界なわけ。
自分が良ければそれでいいんだよね。

どっちが幸せかといえば、自分が満足することの方が幸せなのは、もう間違いないよね。

だって、「幸せ」というのは、「幸せだなあ」と感じることだからね。
感じるということは、主観ということ。
だから、自分が幸せだと思うなら、それが幸せなんだよね。

だったら、目指すべきは自己満足でしょう。

でも、これもね、自己満足ではだめだ、と教えられるわけ。
いやいや、そこが間違えているんじゃないの?

好きこそものの上手なれ

好きこそものの上手なれ、という言葉がある。

好きなことをやっている時というのは、そのことに没頭するよね。
どんどん、やりたくなるよね。

そんな風にやっていると、どんどんうまくなるよね。

こんな人に対して、嫌々ながらやっている人が勝てるかね。
勝てないよね。

好きなことをやるときのパワーってすごいの。
だから、好きなことをやればいいんだよね。

それが受験に関係なくてもいいの。
仕事にならないように思えてもいいの。

とにかく好きなことをやっていいんだよ、と教えてあげればいいんだよ。
その好きなことをやっていくにはどうすればいいのかを、一緒に考えてあげればそれでいいんだ。

不完全でいい

日本の教育は、ミスを減らすことを求めるよね。
欠点をなくすことを主眼とした教育でしょう?

でも、世の中、完ぺきな人間なんていないよね。
みんな不完全だし、疲れたら怠けたいし、そもそも努力なんてしたくない。
好きなことならやりたいけど、嫌いなことはやりたくない。

そんなものでしょう?
それでいいんだよ。
それが人間なんだよ。

そういうことを教えてあげなければいけないよね。

失敗してもいい

完ぺきを求めるから、失敗を責めるよね。
日本人って。

でも、失敗から学ぶことってとても多くて、失敗を重ねないと、うまくならないよね。

最初から一度も失敗しない人なんて、いないんだからね。
失敗を責めるような教育はおかしい。

失敗してもいい。
そこから何を学べるかが大事だと、そういうことを教える必要があるよね。

それに、世の中にないものを生み出そうとするとき、そこには絶対に失敗がつきものだよね。
最初から完ぺきなんてあり得ない。
やってみて、失敗して、修正して、もう一度やってみる。
それを試行錯誤という。
試行錯誤を怖がっていたら、新しいことはできないよね。

それに、人間だもの、ミスはするのが当たり前。
ヒューマンエラーは誰にでもある。

それをどうやってリカバリーするか、ということが大事であって、ミスをしたことを責めてみても仕方がない。
そこを責めることが、生きづらさを生むんだよね。

まとめ

日本が生きづらい理由について考えてみたけど、どうだろうか?

とにかく、好きなことをやろうよ。

昼寝だっていいんだよ。
旅行だっていいんだ。
ゲームだっていいんだ。

自分が楽しい、気持ちい、幸せだと感じるのはどんな時なのか。
それを追求していけばそれでいいんだよ。

嫌いな勉強なんてしなくていい。
好きな勉強をすればいい。

失敗してもいい、不完全でもいい。
他人の評価を気にしなくていい。

それでいいんだよ~!

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