自己責任論が叫ばれるような社会は嫌だ

肩を組む若者 エッセイ
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この国には、生きづらさを感じている人が多い。
その理由は、「過剰な自己責任論」だろうと考えている。

何でもかんでも、「苦境に陥ったのは本人が悪いからだ。」と片付けられてしまう。
そういう風潮があるから、過剰に安定志向に走る。
チャレンジよりも安定を求めてしまうことで、国全体の勢い無くなっているうえに、転げ落ちてしまう恐怖感に縛られて、自由にのびやかに生きることができないような空気が蔓延している。

不運から苦境に陥る人もいる

今回の、新型コロナウィルスの問題からもわかるように、自然の脅威という不運から苦境に陥っている人たちが沢山いる。

新型コロナウィルスが広まって、世界中がこのような苦境に陥ることを予想していた人がどれくらいいるだろうか。
予想できない事態に遭遇して、苦境に立たされることは誰にでも起こりうる話だ。

新型コロナウィルスではなくても、病気や事故、事件に巻き込まれたことがきっかけになって、苦境に陥ってしまう人たちもいる。
本人に落ち度が無くても、苦境はやってくる。

さらに言えば、完璧な人間などいない。
確かに、想定が甘くて苦境に陥る人もいるだろう。
でも、そういう人たちを責められるだろうか。
自分は責めることができる、完璧な人間だと断言できる人はどれくらいいるのだろうか。

助け合うからこそ発展がある

リスクをとる人間がいなければ、社会は発展しない。
果敢にチャレンジをして傷ついた人たちを見捨てるような社会が発展するとは思えない。
社会に安心感が無ければ、人々は自由な発想でチャレンジすることをしなくなってしまう。
それでいいのだろうか?

安心、安全の欲求は、マズローの欲求階層説によれば、下から2番目の基本的な欲求だ。
そこが満たされなければ、自己実現に向かうことができなとされる。
社会全体に安心感が無ければ、社会自体が自己実現に向かうことはないだろう。

つまり、助け合い、支え合える社会こそが発展することは明白だ。

学歴社会が自己責任論を生んだのか

これは、まった僕の考えなのだけれど、僕が育った時代は学歴社会が始まった頃だと思う。
受験戦争という言葉が使われ始めたのも、僕らの世代からだと思う。

学校の成績は、確かに勉強すれば上がる傾向にはある。
なので、勉強しない人の成績は上がらないし、成績が上がらなければいい学校に行けずに、いい会社に入れずに、安定した収入が得られない。

世の中は右肩上がりの高度経済成長期だったから、確かに、自分の努力次第でなんとなるような風潮はあったかもしれない。

だから、勉強ができないのは自分が悪い。
生活が安定しないのは、自分が悪い。
好きなことばかりやっているのは、大人になり切れていないからだ。

そんな風潮が生まれたに違ない。

時代は変わった

しかし、時が流れて時代は変わった。
バブルが崩壊して、経済は失速した。
少子化が進んで高齢者が増え、さらに人口が減少するという難しいフェーズにいる。

頑張ったものが必ず報われる、という時代ではなくなってきた。
高学歴でも仕事にあぶれる人が増えてきた。
奨学金の返済に追われて生活が困窮する人も増えてきた。

こんな時代に自己責任論が幅を利かせていれば、ますます追い込まれていく人が増えるのは目に見えている。

苦しい時代だからこそ、手と手を取り合って、協力して乗り越えなければいけないと思うのだけれど、どうだろうか。

誰かを攻撃しても、自分が幸せになれるわけではない。
弱者を切り捨てても、いつ自分が切り捨てられる側に回るかわからないという不安が大きくなる。
不安が大きくなるから、リスクをとって改革をしたり、チャレンジすることが難しくなる。
そうしてますます、社会が膠着して、苦しい状況に追い込まれていく。

助け合う社会を作って乗り切ろう

日本社会は、少子高齢化社会で人口減少社会という、非常に苦しい状況になっている。
こんな厳しい状況であるからこそ、助け合って乗り切るしかない。

自己責任論を持ちだすことには、なんのメリットもないと考えている。

この難局を乗り切るためには、アイディアを振り絞って、これまでにはない方法を試していく必要がある。
そのためにはリスクをってチャレンジする人が必要だ。
そういう人たちをみんなで支えられるような、そういう社会を構築しよう。

安心感のある社会ができれば、チャレンジする人たちが増える。
幸せな人が増えることによって、社会にエネルギーが満ち溢れ、この難局を乗り越えることができるだろう。

まとめ

不安に駆られて、安全策ばかりをとろうとする。
チャレンジして失敗する人たちをばかにしたり、目立ってきた人たちのあらを探して攻撃する。
苦境に陥った人たちを「自己責任」だと断罪して助けようともしない。

そして、他人を攻撃してストレスを発散し、留飲を下げて満足する。
そんな人たちが沢山いる社会が、この難局を乗り越えられるとは思えない。

難しい状況になればなるほど、困っている人を助け合うような社会をつくらなければいけない。
どうしたら、この難局を乗り越えることができるのか。
冷静になって考えればわかることだ。

いま、私たちに求められているのは、助け合う社会なのだと思う。

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