ちゃんとしていなくていい

小学校先生 エッセイ
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「ちゃんとしなさい!」って、子どものころに怒られた経験がある人は多いだろう。
かく言う僕も、ご多分に漏れず、「ちゃんとしなさい」とよく言われたものだ。

それで、「ちゃんとしてないと怒られる」という感覚が身に付く。
そこから、「ちゃんとしてないやつだと見られる」ことはとてもよくないこと、恥ずかしいことだと思うようになる。
それでもって、人の目が気になるようになる。

自分の「ちゃんとしていない、ちゃんとできない」ところが気になるようになり、自分に対して自信が持てなくなったり、自己肯定感が持てなくなったり、自分を嫌いになったりする。

「ちゃんとしている(ように見える)」人と比較して、ますます自信を失う。
自分のちゃんとしていないところを見透かされてしまうのが怖くて、人付き合いがとてもストレスになる。

「ちゃんと」しようとすると、ストレスが膨らんで、生きづらくなる。
だから、「ちゃんとしなさい」という躾は、子どもの人生を生きづらいものにしてしまうのではないだろうか?

ちゃんとするってどういうこと?

そもそも、ちゃんとするってどういうことなんだろうか?
人間はそんなにちゃんとできるものなのだろうか?
「ちゃんとする」の定義があいまい過ぎて、検討することも難しい。

時と場合によって、適切な立ち居振る舞いは違ってくる。
ちゃんとしてるかどうかは、常にグレーだ。
すべての人に共通の「ちゃんと」があるわけではない。
暗黙の了解があったり、人によって違ったり、いったい「ちゃんと」って何だろう?

そんな曖昧な「ちゃんと」に振り回されて、生きづらさを感じて人生を楽しめなくなってしまうのは、なんだか釈然としない。

ちゃんとしなくていい

そんな、漠然とした「ちゃんと」に振り回されるくらいだったら、べつに「ちゃんと」しなくてもいいのではないだろうか?

時と場合によって違うし、集団によっても違う。
その時その時で、求めらる行動は違うし、それをいつも的確にできるかと言えば、それはもう不可能なことなのではないだろうか。
もしそれができる人がいるなら、その人はスーパーマンなのではないだろか?

自分の気持ちを大切にしよう

自分の立ち居振る舞いを考えるとき、曖昧な「ちゃんと」を基準に考えるのではなくて、自分の気持ちを大切にした方が良いのではないか、と思う。

もちろん、失敗することもあるだろう。
それは人間なのだから、完璧な行動をすることは所詮不可能なのだ。

だけど、そうやって自分の気持ちと折り合いをつけながら行動し、失敗を繰り返すことで、肌感覚として「これくらいなら大丈夫だな」という感じがわかってくる。
この感覚は、さじ加減だから、経験を積んでいくしかない。
絶対に、失敗してはいけないという思いが強すぎると、この感覚が身に付かない。
だから、「ちゃんとしていなければいけない」と思っていると、さじ加減がわからないままになってしまう。
それだと苦しい人生になる

このさじ加減がわかるようになると、自分の気持ちを抑え込んで「ちゃんと」生きていくよりも、よっぽど自由な生き方ができるようになる。

僕自身が「ちゃんと生きていかなければいけない」という思いが強い人間なので、自分に対して書いてみた。

これを最後まで読んだあなたも、きっとちゃんとしている人なんだろうな。

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