常識は疑うためにある

疑問を抱える女性 マインドセット
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僕はかつてうつ病で苦しんだ時に、常識を疑うことを覚えた。
多くの人は、常識は常識として疑うことをしない。
「そんなの、常識だろ」と、その場で思考停止してしまう。
でも、その思考停止が、苦しい現状を苦しいままにしているわけだし、苦しいなら変えていくしかないはずなのに、変化を遅らせてしまう原因となる。
その結果、苦しい状況が何時までも続く、ということになる。

社会はどんどん変化していく。
それに合わせて、常識もどんどん変化していく。
常識とは変わっていくものであり、ものの道理とか原理原則とは違うものである。
常識は疑うためにあるものだ、ということを私たちは心に留めておかなければならない。

人は、自分が所属する集団の中にいると、その集団に特有の常識に染まってしまう。
そして、それがあたかも原理原則であるかのように錯覚してしまうのだ。
その常識を疑うことができるのは、その集団の外側を知る人たちだ。
その疑いの感覚を持っているのは、新参者であり異端者であることが多い。
しかし、集団が固着してくると、新参者や異端者を攻撃し排除しようとする。
なぜなら、その人たちには、今までの常識が通用しなくなる恐れがあるからだ。
せっかく常識を崩すチャンスなのに、そのチャンスをどんどん潰していくことになる。
そうして、その集団は周囲の変化についていけなくなる。

これは、集団だけの話ではなくて、個人にも当てはまる問題なのだ。

多様性とかインクルージョンとか、そういう言葉をよく聞くようになってきた。
多様性というのは、人はいろいろな意見や考え方があっても良い、ということだ。
多様性が常識を疑うきっかけを与えてくれる。
自分の中に多様な価値観、多様な視点を得ることが、常識を疑う第一歩であり、柔軟な視点を持つことによって、さらなる変化や成長につながることになる。

「常識に縛られて苦しい」という感覚は、「その常識を疑え」というサインなのだ。
心と身体がそう訴えているととらえていいだろう。

常識は疑うためにある。
自分の中で、「それは常識だろう」として思考停止していることが無いか。
常に考えてみたほうが良いだろう。

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