コロナによる環境の変化に過剰適応しない方法

水をやる女性 ストレスマネジメント
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水をやる女性

新型コロナウィルスの感染拡大に伴って、自宅勤務が始まったり、外出を控えて家に引きこもっている人が増えている。
それだけじゃない。
仕事が激減して、経済的に追い込まれている人もいるだろう。

かく言う僕自身も、かなりの影響を受けているし、今後どのように乗り切っていくのか思案している。

生活環境が激変するときに、人は強いストレスを感じる。
そのうえ、コロナ関連の報道や情報が氾濫しているので、自分がコロナに感染したらどうしよう、重症化したら、もしかしたら命を落としてしまったら。。と不安になっている人も多いはず。

生活環境の変化、経済的な不安、さらにはコロナに対する恐怖心が重なって、メンタルを病んでしまう人も少なくないだろう。
コロナに感染することも防なければいけないが、メンタル疾患になってしまうのも防ぎたいところだ。

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過剰適応しないように気をつけよう

環境が変化してストレスを感じるのは当たり前。
多かれ少なかれ、誰でもストレスを感じる。

環境の変化にすぐに適応しようとして、やり過ぎてしまうことを過剰適応という。
環境の変化に過剰適応することで、自分からストレスを溜めてしまう。

外出自粛要請を受けて、誰にも会わないようにと、買い物にも出かけない、散歩にも出かけない、一歩も外に出ない。
一日中家にいて、楽しいことも自粛して、ずーっとコロナ関連の情報ばかり見ている、病気の不安や生活の不安、環境の変化に対するネガティブな状況のことばかりを考えている。
そんなことをしていたのでは、メンタルが病むのは当たり前。

人は環境に適応できるようになっているので、心配する必要はない。
しかし、それは突然に起こるのではなくて、徐々に慣れてくるのだ。
無理やり適応しようとせずに、少しずつ慣れてくるのを待とう。

状況を客観的に把握する

まず、今の状況をきちんと把握することが大切だ。
実際に起きていることは何か、その客観的事実をちゃんと把握すること。

新型コロナウィルスの特徴が、どんどん明らかになっている。
武漢で発生したころには、致死率がものすごく高いという報道がなされた。
しかし、今現在の日本では、さほど高くはない。

報道では、志村けんさんや岡江久美子さんなど、有名人が亡くなったというショッキングな報道を朝から晩まで流しているけれど、実は日本における死亡率(人口当たりの死者の割合)は決して高くはない。
4月23日の時点で、死亡者数は287名。人口100万人当たりの死亡率は約2.2人という数字になる。
(ちなみに、致死率とは感染者のうちの死亡者が占める割合。死亡率は人口にしめる死亡者の割合。意味が違うので混同しないように)

ちなみに、2019年一年間で、交通事故で死亡した人数は過去最低の3215人だった。
これは、毎日9人の人が亡くなっている計算になる。
(参照ページ:https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00625/
死亡率は、人口100万人当たり24.7人ということになる。
つまり、過去最低を記録した昨年でさえ、新型コロナウイルスで亡くなった人の10倍以上になるということ。

交通事故に関しては、今のコロナウィルスに対する報道のように朝から晩まで報道しないので、10倍以上もの死者が出ているという認識がないだけなのだ。
これがもし、今日も何人の方が事故に遭い、そのうちの何人が重症で、何人の方が重篤で、何人死亡しました。
とやったら、怖くて外に出られなくなる人も出てくるだろう。

さらに、自殺者に至っては、2019年は19,959人だった。こちらは10年連続で減少しているが、それでも一日当たり約55人が命を落としている。死亡率は、人口100万人当たり153.5人という数字になる。
(参照ページ:https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_tyosa-jikenjisatsu

もちろん、新型コロナウィルスによる死者は今後も増えることは予想されているし、単純に比較することはできないかもしれないけれど、客観的なデータとしてはその程度のものであると認識しておく必要はあるだろう。

今後、新型コロナウィルスによる犠牲者をできるだけ少なくするためには、医療崩壊を起こさないことが肝心だ。
私たちは、医療崩壊を起こさないために外出を自粛しているということを認識しておいたほうがいい。

感染経路を知る

今現在、新型コロナウィルスの感染経路として考えられているのが、飛沫感染と接触感染の二つ。

1、飛沫感染
飛沫感染とは、感染者の唾液などにウィルスが存在しているので、感染者の咳やくしゃみによるものや、会話や食事の時に感染が広がるというケース。

この感染経路を防ぐには、「感染者自身がマスクをするなどして飛沫を飛ばさないようにする。」「感染者と近距離で会話や食事をしない。」という方法が有効である。

最近聞かれるようになった、ソーシャルディスタンスという言葉は、人との距離を保つことで飛沫を浴びないように、また、浴びせないようするということ。
食事の時にはどうしてもマスクを外さざるを得ないので、一緒に食事をするというのはリスクが高まる。

2、接触感染
ウィルスを含む飛沫を触った手についたウイルスが、口や鼻などから体内に侵入するケース。
この感染経路については、「不特定多数の人が触るところをなるべく触らないようにする。」「こまめに手を洗う。」「手で顔を触らない。」という方法が効果的である。

結局、この二つの感染経路をよく知って、そのための対策をとることができれば、感染する確率をぐっと下げることができる。

政府などが盛んに言っている「三密を避ける」とは、「密閉、密集、密接」を避けるということ。
それはまさに、この二つの感染経路を断つ、ということに他ならない。

逆に言えば、この二つをしっかりと守っていれば、多少のことをやっても大丈夫だということ。
これをきちんと理解することによって、必要以上に怖がってストレスを溜めてしまうことを防ぐことができる。

楽しめる工夫をする

これまでの状況と一変してしまったのは、あなただけではない。
世の中の多くの人が、この状況の中で暮らしている。

これまでの常識に縛られずに、この状況の中で楽しめる方法を工夫しよう。

人の脳というのは、二つのことを同時に考えることができない。
これは、楽しいことと不安なことを同時に考えることができないということだ。

また、「考えない」ということもできない。
「不安なことを考えないようにする」というのは不可能なのだ。

したがって、不安から逃れるにためには、不安以外のことを考えるしかない。
「どうすれば、この状況を楽しめるか。」
ということに意識をフォーカスすることによって、不安から逃れることができる。

じたばたしても仕方がないと諦める

相手はウィルスである。
疫病は自然災害。
我々人間も自然の一部である以上、自然現象に逆らうことはできない。

これはお天気と同じなのだ。台風に逆らえないのと同じだ。
じたばたして、自分追い込んだところで、自分が苦しくなるだけなのだ。

この状況を、諦めて受け入れるしかない。
そして、今の状況の下で、何ができるのかを考えていくしか方法がないのだ。

出来ないことを数えるよりも、出来ることを考えるしかない。
それが、自分を必要以上に追い込まないためのテクニックなのだ。

助けを求めよう

私たちはみんな、自然災害の被災者だ。
被災者同士、助け合ってこの困難を乗り越えていくしかない。

こんな状況なのだから、助けを求めることは恥ずかしいことではない。
どうしても苦しいのであれば、助けを求めよう。

近年の日本は、自己責任論が席巻をしている部分があって、助けを求めることは迷惑をかけることであるという認識の人が多い。
しかし、本来人間というのは、助け合うことによって厳しい自然の中を生き延びてきた動物なのだ。

今こそ、人間のもつ本来の強さが試されているのだと思う。
だから、助けを求めていいんだと思うんだ。

辛ければ助けてほしいと声に出してみよう。

楽観的になるおまじないを唱える

追い込まれた時にかなりの力を発揮するのが言葉の力だ。
楽観的になれる言葉を口に出して唱えてみよう。

まあ、何とかなるだろ。
なるようにしかならない。
じたばたしても仕方がない。
明日は明日の風が吹く。
なんくるないさ~。
生きてるだけで丸儲け。
死ぬこと以外はかすり傷。
・・・

そのほかにもいろんなものがあるだろうし、人それぞれお気に入りのものがあるはずだ。

まとめ

新型コロナウィルスが蔓延してきて、生活が一変してしまったという人は多い。
慣れない環境でストレスを抱えている人もいるだろう。

あまり思いつめると、自分をどんどん追い込んでしまう。

結局、自分を追い込むのも自分だし、楽観的に持っていくのも自分なんだ。
その事を意識してほしい。

必要以上に自分にストレスをかけないようにしよう。

もし、どうしても一人では解決できないストレスがあるなら、私のオンラインカウンセリングを受けてみるのもおすすめです。
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