ブログは「量より質か」それとも「質より量か」

デザイナーの机 ブログ
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ブログに限った話ではなく、情報発信全般に言えることなのだが、
量を意識するとどうしても質が下がってしまうような気がする。

そこで、量よりも質の方が大切なのではないか、と考えてしまう。

この問題について、考えてみたい。

結論から言えば、「量も質も」を目指すのが理想。ということなんだけれども。
おそらく、上手く行っている人はそこをちゃんと目指しているんだろうな、とは思うよね。

ブログを毎日更新して思ったこと

一時期、そうだなあ、三年間くらい、毎日ブログを更新していた。
初めのころは、だんだんアクセスも増えてきて、それなりにやりがいがあったのだけれど、Googleのアップデートが行われるたびに、どんどんアクセスが減っていくような事態になった。

そうなってくると、毎日更新するのが辛くなってくる。

さらに言えば、ネタが尽きてくる。
やっつけ仕事のように記事を書くようになってくる。

こんな記事でいいのだろうか?
と思いながら、「毎日書く」というミッション為に仕方なくアップする、なんていう日も沢山あった。

そういうことが嫌になって、毎日書くのをやめてしまった。
ただ量産するために書くのではなくて、もうちょっと良い記事を書きたいという思いもあった。
まあ、それでも3年続けたんだから、我ながらよくやった、と思っていた。

良い記事を書こうと思ったのだが

毎日書くことをやめて、良い記事が書けたらアップしようと思った。

だけど、人間は易きに流れるもので、「いい記事が書けたら」などと思っていると、なかなか記事を書こうという気にならないものだ。

そうこうしているうちに、どんどんと記事をアップする頻度が落ちて行った。
もう、それは、あっというだった。

まあ、そもそも僕が怠け者だっただけなんだろうけれども。

いったい良い記事とはどういうものなのか

そもそも、「良い記事」などというものは、客観的な指標が無いあいまいなイメージなんだよね。

自分がイメージする「良い記事」が、読者にとっても良い記事かどうかはわからない。
良い記事が書けたと自画自賛しても、それが読者にとっても良い記事かどうかはわからない。
どんな記事が良い記事なのか、という定義も曖昧だ。
そんな曖昧なものを指標したところで、何の意味もないのではないか?

それに、毎日書いていた時だって、沢山の駄作の中に、きらりと光る良い記事が書けることもあった。

打率よりも本数にこだわる

自分が書く記事を、すべて良い記事にするなんてことは不可能ではないかと思う。
量を落としたからと言って、果たして良記事の本数を上げることができるのか。
もっと言うと、そのほうが読者のお役に立てるようになるのだろうか。

イチローだって、三打席に一回くらいの割合でしかヒットを打てない。
全打席ヒットを打つなんてことはあり得ない話だ。

ブログも同じで、とにかく打席に立たなければ(記事を書かなければ)、ヒットは打てない。
ヒットを沢山打つためには、沢山打席に立つ必要がある。
イチローが打率ではなくてヒットの数にこだわったのは有名だが、ブログも同じなのではないか。

なんのためにブログを書くか、と言えば、僕の場合は、読者のお役に立つことによって、最終的には自分の仕事につなげることが目的なのだ。

だとすれば、やっぱりヒットの本数が大切なのではないだろうか。

量をこなすことによって質も上げられる

ブログを毎日書いていたころは、文章を書くということについては億劫ではなかった。
でも、毎日書かなくなると、文章を書くのが億劫になった。

さらに言えば、文章について考える頻度が落ちた。
こうなると、やっぱり自分が書く文章の質も下がったような気がする。

量をこなすことってやっぱり大事だと思う。

量をこなしながら質を上げていく

結論は、「量をこなしながら質を上げていく」というのが理想ということ。

上手くいっている人はこれをやっている人。
言うは易し行うは難しなのだけれど、行うは難しということをできてしまう人が成功するんだろう。

これからは、記事を書く頻度を上げて行こうと思う。
駄作を書くことを恐れず。
なるべく、良記事を書くように意識しつつ。

そして、理想を言うなら、苦行ではなくて、楽しみながらできればいいなあと思う。

以上が、コロナ騒動を良いことに、引きこもっていた私の結論。
YouTubeも頑張ろうと思うので、よろしくお願いします!

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